いま

老いた自分、そして死ぬ自分を想像するときや、歳上のひとにうらやましいと言われるとき、この20歳のいまってすんごく重要で大切なんだなあ。
こんなにフリーで無敵な歳ってないんじゃないかな、と思います。
けど目標はしぬまでフリーダムです。

そして思う、大学にいく時間とお金のムダさ。

わたしの第一部の人生であったバレーボールに終止符打ちました。はい〜新しくスタートしましょう!じゃあ〜とりあえず四年間大学でやりたいことさがすか〜っていうよくある流れだったけど。。

けれど、やりたいことを探す、なんてことにゴールはないんだ…と気付いて?思ってしまった?というか、
わたしが異様に移り気なのかもしれないけれどおばあちゃんになって、もしくは1年後、もしかしたら明日、自分がどんな刺激をうけて何に興味あるかなんてどうやってもわからないやーーん!となってしまいました。

将来を見据えての勉強なんて半端にしかできなくて、もともと座学できない子だったから、筋肉バカじゃなくなっても「実践に勝る勉強ナシ」スタンスはずっと変わらないみたいです。
たとえば言語もやっぱり自分の言語通じない場にぽーんと置かれたら勝手にいやでも必死に勉強するもんでした。
人間だいたいMAXのチカラなんて追い込まれないと発揮しないでしょう!なので想像だけの目標や理想のじぶんだけではやる気スイッチは押せん!と。。
そして今やってることが永遠に好きでやりたいと思えるかなんて保証はどこにもないのだ!と!
キッカケや分岐点にいつ出会うかわからないから〜
安定、というのはあるようでないものですね。
そう思うと、今、これだ!!!!と思うものに全力でそそげない環境を変えたいと思って、
そのなかでもちゃんと優先順位をはっきりしなきゃなあと思って、そのためにはどうしてもギセイはある。。全部には手を出し切れない!容量というものが欲しい!
けどどうやったって世界中のひとをしあわせにはできないし、みんなに好かれることなんてのも不可能だから!
それこそ正解、不正解なんてのは存在しないんだなぁと思っています。
まずあしたいきてるかも分かんないし、こうして人間やってるのって全然「普通」じゃないことだと思うのでとりあえず好奇心には逆らわないでおきます。ジョーシキには逆らっても自分の直感と好奇心に素直に従っていきたいです。
たとえ悪条件でも自分の興味をつぶしたくない。バチ当たるの、報われないのは承知で!そのくらいの覚悟で人生しなきゃだ!